- 共通テーマ:
- ゆとり教育 テーマに参加中!
ゆとり教育では『円周率3.14を3で教えろ』などとは言ってない!
1945年に終戦を迎え、日本の戦後教育が始まった。それは1947年、教育基本法によるスタート。教育基本法で目指したもの、それは『人格の完成』だった。『人格の完成』の名の下で、学校は何を目指したのだろうか?
ひとつは『個人が自分の能力を開花させ、実り豊かな人生を送ることが出来るように備える』ということ。
そして、もうひとつは『国や社会が要求する人材となって、社会に受け入れられるようにすること』だった。
うん。
時代は、終戦後、高度経済成長を遂げる時代。
がんばって勉強することが『実り豊かな人生』を保証した時代…。
そして、1958年、学習指導要領が出される。
そこで求められたのは、時代の要請に応える人材の育成、すなわち、『優秀な労働者の育成』。結果、画一的な詰め込み教育が行われ、学歴・成績に応じた職に就けるような時代となった。画一教育ではミスをすることが許されず、失敗ばかりする人間は『優秀な労働者ではない』というわけだ。
そう。
偏差値教育の始まり…。『人間の価値=成績』の時代。
『努力と根性!』『Oh!モーレツ!』の高度経済成長の時代では、そのような人材が求められ、就職する学歴も『経済学部』が重視された。ものがなかった時代、家にテレビ、冷蔵庫、クーラーなどなく、そんな時代では頑張れば頑張るほど給料がアップし、身の回りに日用品が揃って行き、生活に豊かさをもたらす。
そういう時代では『偏差値を上げること』が『実り豊かな人生を送ることができる』最善の方法。
しかし、経済成長が終わり、物が溢れるようになると事情が変わってくる。ただ物を作れば売れる時代から、物を作っても売れない時代へと変化する。そこで企業は不要なものを“欲しい”と思わせて売れるようにしなければならない。そういう時代において、ただお受験を頑張って勝ち抜いてきた『努力の人』では役不足。社会が求める人材として急務となるのはお受験の勝者より別の資質を持った人材、勉強以外の『何か』を持った人材。
そんな時代の変化から、84〜87年、臨時教育審議会の答申で『ゆとり教育』が提案される。『個性/主体性/生きる力』の育成へと方向転換する。つい最近の『ゆとり教育』に対し、これを『第一次ゆとり教育』なんて呼ぶ者もいる。
そして、バブル経済の崩壊以後、『学歴や成績に応じた職に就けない時代』が訪れ、2002年の学習指導要領改定へと至る…。
◆ゆとり教育
日本の伝統的教育。それは集団主義による『よい社会人の育成(製造)』だった。
そのためなら厳しい校則で子供たちを縛り、良い大人、優秀な労働者を作るためなら体罰も許された。子供たちの個性は二の次で、それよりも集団性が優先され、『団体行動』『集団の中での道徳性』が求められる『連帯責任』の世界。
それに対し欧米での教育は個人主義による『自立した市民』をつくる教育。
そのためなら飛び級も当たり前。能力別クラス、有無を言わさぬ留年。しかし、どこか優れたところがあればそれを伸ばそうとする個人を育てるための教育。『自己責任』の世界。
そう。
かつて求められた教育は、日本を世界に冠たる豊かな国、経済大国へのし上げるためには必要な教育。しかし、物が豊かになった時代で実り豊かな人生を送るには偏差値を上げることよりももっと大切なことが求められる。
『個性』『主体性』『生きる力』。
そのためには、欧米型のような教育が必要、それが『ゆとり教育』。
ゆとり教育への一般的な認識『勉強量を減らして、その分、ゆとりを持って人間性を養おう』ってのは、実は間違い。『押し付けではなく、1人ひとりの学習意欲を重視し、1人ひとりの個性を生かした教育』ってのが正解。
ゆとり教育に対してよく言われるのが『指導項目を減らしてゆとりを持たせて〜』ってことだけど、文部科学省は『円周率を3で教えろ』などとは強制していない。台形の面積を教えなくていい、なんてことも強制していない。『勉強ができる』ということは『ひとつの個性』として認め、そういう子供にはガンガン勉強を教えるよう指導している(エリート教育)。勉強嫌いの子供には勉強以外の何かを見つけさせ、そいつの持っている『自分の能力を開花させる』よう指導している。そのためにアベレージを下げただけ。
それを世間は歪めて受け止め、何も知らずに学力低下だのと喚き散らしているだけ。
自分の能力に気がつかせる。自分の個性を見つけさせる。自分のやりたいことを見つけさせる。
そのために設けられた『総合的学習の時間』。
冷静に考えてみよう。
今の時代、偏差値をあげただけで実り豊かな人生が送れるか?
高学歴を持ったフリーターが世に蔓延している。大学院卒の50%がワーキング・プアになっている。
高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)
人生で最も輝く時期を、お受験に費やしたところで、自分の夢がなければ、待っているのは過酷な現実。
それよりも、自分が燃えられる、自分のすべてを掛けることができる、自分の全てを燃やすことができる『価値』を見出すことの方がずっと『実りある人生』を送ることができると思うんだが。
高度経済成長期を支配した価値観で子供を育て、偏差値をあげることに幼少時代を費やさせ、もっと大切なことを学ばずに大人になってしまった人間、典型的なのが秋葉原の男。
高校生に聞いてみた。
いや、聞かなくてもわかる。
あいつ、別にブ男じゃない。
もっとブ男でキモイ系だけど、女の子にモテモテの奴、たくさん知ってる。
結局、自分自身、個性と主体性、生きる力でしょ?
夢を見つけよう!!
その夢に学問が必要だったら、大学で学べばいい。
そのために大学はAO入試というのを設けてくれた。
AO入試で求められること、それがゆとり教育で養うもの。
『個性』『主体性』『生きる力』
もっと大切なことを学べ!!




















このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト