- 共通テーマ:
- ゆとり教育 テーマに参加中!
本当。狂ってるね。
先日、文学部系心理学科へ進学する受験生に受験指導をした。もちろん、一般入試ではなく、志望理由書で悩む特別選抜入試だ。かなりの倍率が成立する入試で、その受験生は受ける。
その志望理由書。例によって『カウンセラーになる』というのが夢という奴。
内容を読んでみると明らかに『医学部・精神科』の志望理由書を書いている。
全く…。
精神医学と心理学の違い。
精神医学というのは、心の病気、精神の病気を治そうとする医学。
心理学というのは、正常な心の状態を研究する学問。例えば、どっかのCMでやっているような『人が未知なることをしようとする時、これまでで一番成功した時の記憶と失敗した時の記憶を思い出す』というようなことを研究する。
そう。
心理学が心の病気を治療しようと考えること自体が大間違い!
…って、言われてみればそのとおりでしょ?
ところが、猫も杓子も『心』『心』の『心ブーム』。学校教育の場にカウンセラーを配置しようとした時、猛反対したのが、何をかくそう臨床心理学会。こんな話を聞くと非常に意外ですが、その理由を聞くと心底自分が恥かしくなってきます。
『例えば学校などでいじめの問題が起きた時、社会はすぐ『心の問題』にしたがるがここに問題がある。いじめを心の問題として考えるのではなく、学校と先生の指導力の問題を考えるのが先。』…云々。
詳しくはこちらの本でどうぞ。
心を商品化する社会―「心のケア」の危うさを問う私もそのとおりだと思う!
何でもかんでも心の問題としてかたずけてしまい、何の解決にもならない。学校でいじめが起きるのは、いじめっ子やいじめられっ子の心の問題などではない。100%、学校と学校狂師たちの問題である。そこへカウンセラーとかいう役立たずを配置し、いじめが起きたらカウンセラーが解決!なんてことには決してならない。カウンセラーなんぞただ相手の話を聞いてあげるだけで、何ら解決などできない。言ってみればただの役立たずに過ぎないからだ。
つまり、問題があった時の受け口を作るだけで、指導力のない学校と学校狂師が押しつける先にしかならない。それで問題も解決しない。解決できなくても『このケースは難しいですから。』と言えば自分の能無しを棚上げにできる仕事だ。羨ましい!!
相談して変わるか?
カウンセラーが話を聞いてあげたところで、現状が変わるか?
何ができるんだよ。
心の問題ではなく、いじめをのさばらせておく学校の問題。何でもかんでも責任転嫁する学校狂師の問題でしょ?…っていうか、そういうカスしか先生になんぞならないから無理だろうね(爆笑)。
さて。
子どもたちの日本語力の低下。コミュニケーション能力の低下。これって何を意味するのだろうか?
子どもたちが言葉やコミュニケーション能力を確立し、自己表現を学んで行く場は、学校でのお勉強からではない。自らイロイロな人間に塗れ、その中から自己表現を学び、身近な大人たちが敬語を使うのを見て子どもたちも言葉使いを学んで行く。これが極々当たり前のこと。世の中の子どもたちにコミュニケーション能力や自己表現力がないのは、そういう場を作れなくなった社会の問題。それを解決すべきである。決して日本語狂師何ぞという人間のカスたちがしゃしゃり出てきて教えるようなものではない。問題がある学校や社会を解決するのが当たり前のこと。それを全て棚上げにするつもりだろうか。
カウンセラーを配置するのと同じだと思う。
…あ、因みにいくら頑張っても日本語狂師なんぞに指導はできませんよ。日本語狂師が子どものコミュニケーション能力を開発しようなんぞしても無理でしょう。何せ、日本語狂師自身が自己表現力を持ち合わせていませんから。せいぜい専門家ぶって口からデマカセを言ってごまかすだけ(爆笑)。作文書かせれば分かります。何が言いたいのか分かりません。因みにその逆も然りで、彼らに文章を読む力なんぞありません(爆笑)。また、それ以前に付き合ってみれば分かります。子どもの頃、ロクに友人づきあいが出来なかったような、人とマトモな関係を築けないような人間たちばかりだから(大爆笑)。まず、自分が何とかしろよ、ってね。
ただ、全員がそうだ何て言いませんよ。そうでない人もいますよ、すぐ辞めてっちゃいますけど。ただ普通はそうだと言うことです。普通とは圧倒的多数と言う意味です。
カウンセラーの話も、日本語狂師が日本の子どもに日本語を教えるのも、本末転倒。決して新しい可能性の追求でも何でもない。こんな簡単なことも理解できない奴らが専門家とかやっちゃうほど腐った社会なんだもん。最低だね。




















このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト