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 夕べ遅くまで、塾の担当者同士で打ち合せをしました。

 その内容は生徒たちに関することでしたが、そこでポイントになったのは、生徒の態度です。私に見せる生徒たちの顔と、打ち合せをした相手へ見せる生徒たちの顔が全く違うと言う話です。

 確かに初めのうちは子供たちも警戒しています。ちょうど新学期が始まったところのクラス変えで、それ以前から別クラスで受持っていた子どもと新しく受持つ子どもの反応は明かに違います。ただそれもあと数回もすれば反応が変わるのでしょうが、それでも生徒からの信頼度やウマが合う合わないによって、その先生に対する生徒たちの態度が変わります。子どもたちは先生によって態度を変えるのです。

 これは塾の常識です。

 だから、私に心を開かない生徒への対応は別の心開く先生に頼み、必要なら個人担当すら変えます。

 一個人の偏見で子どもを評価することなど、もってのほかです。

 そのための打ち合わせでした。


 ところが、私のいた日本語学校では違ったようです。

 遠い異国の地へ来て間もない学生ならなおさら。『この先生には何でも話せる。話を聞いてもらえる』と信頼される先生に対する学生の態度と、『こいつは馬鹿だ』と思われている先生に対する態度では全く違います。そして、その態度の違いは彼等が使う日本語にも現れるのです。

 信頼している相手なら、下手な日本語で必死に何かを伝えようとしてきます。しかし、そうでない先生、特に圧迫感しか与えないような偏見に凝り固まった先生に対しては、彼等も思うように話ができません。日本語も必死に言葉を選んでしまい、口が重くなってしまいます。

 これが常識です。

 これが分からない日本語狂師が多すぎました。

 クラスの話しになって担当者が集まると、本当にただの井戸端会議。全く不毛な『おしゃべり』が続きます。女性上位の業種で、しかも『オバハン』が多数生息する環境ではなおさらでした。私がいくら『担当者によって彼等は態度を変えるんだ』と言っても全く理解できないようでした。

 もちろん、口先だけでは『知っている』だの『分かっている』だのと言っていました。けど、言っていることとやっていることが全く違うのです。

 新人のころ、まずこの点に驚かされました。

 ろくに成績表もつけず、無知蒙昧なオバハンたちが展開する井戸端会議によって、夢を託して来日した外国人就学生たちが評価されるのです。もちろんこのようにいいかげんですから大学に提出する成績表なんぞいいかげんにつけます。本当に酷いとしか言いようがありません。

 『日本語ができない』とオバハンたちに一方的に決めつけられ、クラスを落された学生が、私のクラスから卒業後、法政大学やら上智大学やらへ進学して行きました。

 当り前です!

 まず客観的に彼等の(大学入試に関する)成績を付け、そこから始めなければ彼等の実力なんぞわかりゃしません。『会話力が弱い』とオバハンたちに決めつけられた学生が、実は、オバハンたちを嫌っていただけで他の日本人に対しては雄弁だった、何てよくある話です。

 一体、何を考えているんでしょうか?

 …って言ったところで無意味ですよね。オバハンたちにこのようなことを言っても全く理解できません。



 塾業でこんなことをやったら死活問題です。

 もちろんやっているようなところもあるでしょうし、このオバハンたちと同じような塾屋もいるでしょう。けど、こういう例は、そのうち潰れるか、危機を感じた“上”から閑職に回されるかされるのがおちです。

 また、新人にはこのことをしっかりと教えます。

 かわいらしい女の先生。

 熱いエネルギー溢れる先生。

 女王の教室に出てくるような先生。

 先生にも個性があって、その個性が学生の個性と響き合う…。これが理想でしょう。


 あまりに傲慢で偏見に満ちた日本語狂師のオバハンたち。

 口々に『学生が可哀想』とか言いますが、とりあえず最低限、成績表は作りましょう。試験もやらず、成績もつけずに学生を一方的に評価するのは止めましょう。それこそ『学生が可哀想』というものです。