曹操来了!

人は絶望したとき、最も輝いていたころの自分を思い出し、前に進もうとする。輝け、青春!

ライト・スタッフ5

ブログネタ
外国人入試 に参加中!
 『国際化社会』とか『国際教育』とかいう言葉が当たり前のように飛び交っていますが、国際感覚を身につけるとかいう以前に『私たち自身』をつくることが先決だと思います。かといって、それは民族的、国家的アイデンティティーなどではありません。それ以前の問題だと思います。

 私たちは子どもの頃から『おりこうさん』『よい社会人』になるための教育を受けてきました。結果、その基準から外れる人間は白い目で見られ、あくまでも社会基準に当てはまるよう強制されてきました。そして、その行き着くところ、自分自身を殺し、“自分”が存在しない大人になってしまうのです。

 このような状況は、これまでの日本社会なら通用するかもしれませんが、これからの国際化社会では障害となるのが明らかでしょう。

*  *  *  *  *  *  *


 インターネットで『国際化社会』と打ち込むと、膨大なページがヒットします。特に『教育』というジャンルでは、外国語(英語)教育はもとより、さまざまな国への留学コースが設けられているのが目に入ります。私たちが子どもの頃から比べると何と恵まれていることでしょう。

 しかし、それで国際化などできるのだろうか?と疑問を持ってしまいます。

 どんなに金を使って海外へ行っても、自分が存在しない『おりこうさん』に何ができるのでしょうか?

 最近では、小中学生対象にも『異文化体験ツアー』なるものが企画されています。その国へ行って、その国の子どもたちと交流して、その国の食べ物を食べて…。この時期に経験することは、将来にとって大きな財産になるでしょう。

 しかし、それはあくまでも『子どもたちの友好親善使節』でのお話です。今、求められている国際化とは、そのようなことを指すのではないと思います。

 人の往来が激しくなり、事実上、国境がなくなりつつあります。嫌がおうでも外国人と接する機会が多くなっています。そのような社会では、いつまでも小中学生の友好親善使節のような真似事をし続けるわけにはいきません。

 どのようなことが必要なのでしょうか?

 仕事柄、よく『国際化のために、私たちに何ができるのか?』などと聞かれます。それに対し私は『一人でも多くの友人を作ること。』と答えます。しかし、それに対する反応は、気抜けしたような反応がほとんどで、『何だ、くだらない』という声が聞こえてきそうです。

 けど、考えてください。

 小中学生の友好親善程度の付き合いが友人と言えるでしょうか?

 私はそんなつもりで言っているのではありません。日本人の友達と接するような外国人の友人をつくるようすすめているのです。


 本気で外国人と友人になろうとしたら、恐ろしいほどのパワーが必要になります。人見知りの激しい人間でなくとも身構えてしまいます。

 「いや、知り合いが国際結婚をしたけど、たいしたことなさそうだったよ。」なんて言う方もいるかもしれません。けど、決してその知り合いさんも、楽ではないでしょう。そこには多くの苦労があると思います。


 まず外国人は、私たちとは全く違う基準で動いています。

 当然、日本的な基準で接することなどできません。ところが、日本人の友人と同じように接しようとした時、この『当り前のこと』が消えてしまうのです。その結果、激しい誤解が生まれてしいます。

 では、どうすればいいのでしょうか?

 そう。

 まず、『自分自身を作る』ことから始めなければなりません。

*  *  *  *  *  *  *


 自分自身を作る…。

 私たち自身をよくよく考えて見ると、子どものころから『正しい』と教えられたことに従っているだけだということに気がつきます。特にそれは、異質のエイリアン(外国人)たちと接することで思い知らされます。

 与えられた価値基準で物事の善悪を判断し、与えられた価値基準で行動する…。それはまるで『プログラム』をインストールされ、それに従って動くロボットのようです。そこに人間らしさや人間性などありはしません。そう。『自分自身』が存在しないのです。

 同じ日本人同士なら問題ないでしょう。同じ日本人同士なら従うプログラムが一緒ですから。また、個人に中身がなくても従っているプログラムが一緒なら、トラブルは少なくてすむのです。

 しかし、異質なものには通じません。我々が従っているプログラムを無視した行動をします。その時、私たちはどのような反応をするのでしょうか?

 その答えに対し、私たち自身ではなく、プログラムは『差別は良くない』『いつかわかりあえる』『心が通い合う』『日本人にも外国人にも悪い奴はいる』と作動します。

 そう。この反応は、私たち自身が導き出した答えではなく、プログラムが作動した結果に過ぎないのです。

*  *  *  *  *  *  *


 時々、愚痴メールを送ってくる友人の日本語教師がいます。先日もメールしてきました。『…(詳細略)…。なので、私は世界中の中国人が大嫌い!…(中略)…外務省にビザを出さないように陳情したい!』と激怒しながらメールしてきました。

 はい。

 これって偏見と差別でしょうか?

 私はそうは思いません。

 もちろん、インストールされたプログラムを盲従し、それにコントロールされている方から見れば、とんでもないことだと感じるでしょう。けど、私はその先生がどんな人なのか知っていますし、その事情を知っていますので、偏見だの差別だのは感じません。

 では、この話を中国人にしてみたらどうでしょうか?

 当然、反発されるでしょう。

 けど、この先生の卒業生の中国人たちにしたら?

 恐らく大笑いするでしょう。そして、その先生の身を案じるでしょう。

 もちろん卒業生の誰一人としてその先生を外国人差別だなどとは思わない、とまでは言い切れません。しかし、この先生が愚痴るのは、外国人差別をしているから愚痴るのではなく、外国人が差別される理由を知っているから愚痴るのだと誰もが知っています。相手を知っているからこそ言えるのだと知っています。

 ここにプログラムによる作用はありません。また、国籍や人種などという『識別』もありません。それを超えた関係だけが存在しています。

 その関係とは何でしょうか?

 臭い言葉でいうなら『友情』でしょう。

 この先生は、もう日本語教師辞めたいみたいなことを仰っていますが、恐らく辞めないでしょう。疲れて1度離れることはあるかもしれませんが、また戻って来て、そして『中国人はクズ野郎だ!』みたいに言いながら、それでも中国人を助け続け感謝され続けると思います。

 仕事だから助ける?

 とんでもない!

 『クズ野郎じゃない中国人』も大勢いることを知っているから助けるんです!

  
 これが人間であり、人間らしさ、人間としての魅力です!

 相手は日本社会へ来たのに、日本の基準を無視している、それに腹を立て、怒るのは当然のことです。

 その当然のことがなぜできないのか?

 むかついた時にむかついた気持ちを思いきりぶつけなければ、嬉しい時に喜べなくなってしまいます。

 本気で外国人と接するなら、この人間らしさこそが重要なのです。

 現実は、文部科学省が『検閲』した教科書に書いてあるような、綺麗ごとばかりの国際交流とは違います!

 こんな簡単なことができない、理解できないというのは、結局、何も知らずに、何も考えずに、インストールされたプログラム(与えられた価値基準)に従うだけだからです。

 与えられた価値基準に従うだけのロボットに、理解しろと言ってもどだい無理な話でしょう。


 また、日本語教師の中には『中国人は大嫌い!』とは『決して言ってはいけないこと』『決して感じてはならない悪いこと』と固く信じ、『黒い気持ち』が湧きあがる自分を必死に押し殺そうとする先生もいます。それに絶え切れず、つい言葉にしてしまい、涙を浮かべてしまいます。

 その先生は本当に純情で優しい方なのでしょう。

 『万人から愛される人間になるよう強要される教育』で教えられたことの正しさを信じて疑わず、必死に自分を押し殺してしまいます。必死に『人のため』に何かしてあげようと考えます。

 これがプログラムの力です。

 インストールされた価値基準と違う反応をしてしまう自分自身に嫌悪感を覚え、必死に自分を否定しようとしているのです。

 自分を否定する…。

 だから、自分自身が存在しないのです。

 黒い気持ちが沸き起こるのも、紛れもない自分自身でしょ?

 その自分自身を認めて初めて他人の存在も認められるんでしょ?

 上辺だけ、口先だけのプログラムからは、そのようなことは学べません。中身の伴わない『言葉』だけが先行します。

 他から与えられた価値基準の上辺だけ信じこみ、自分をがんじがらめに縛り、自分で思考することを放棄してしまう…、その結果、自分の心の中に湧き起こる『黒い気持ち』が、実は単なる『国際交流で必ず生じる普通の問題』を経験しているにすぎないのだと、理解できなくなってしまうのです。

 全てが全て嫌になってしまいます。

 そこで国際化は止まってしまいます。

*  *  *  *  *  *  *


 人から与えられた価値基準で動くだけの人間は、このような外国人との接触も持たずに、やれ『○国人はすばらしい』とか、やれ『○国人はだめだ』とか言ってしまいます。また、それが批判されようものなら。『日本人も〜』と語るのが決まり文句です。

 しかし、そのような発想こそ偏見に過ぎません。

 自分で思考もせず、与えられた規準に照らして結論を導くのは、ただの決めつけです。与えられた価値基準に支配され、それに盲従しているだけです。

 相手の悪い部分を知らなければ、よい部分など気がつきません。また、相手のよい部分を知らなければ欠点にも気がつきません。それをしなければ、ただの崇拝や恋愛の対象、あるいは、恨みや憎悪の対象としかならないでしょう。

 相手のよい部分を知り、悪い部分も知り、そして初めて『○国人はだめだ』とか『○国人はすばらしい』と言えるのです。良く言おうが悪く言おうが、その人の『個性』が発する、大いなる言葉です。偏見でも何でもありません。人間らしさの現れです。人間としての感情が出ているだけなのです。


 自分を否定したり、自己嫌悪などの陥る必要などありません。

 プログラムを削除しましょう!

 そして、新しい自分を作りましょう。

 それが国際化への第一歩です。

*  *  *  *  *  *  *


 現在、時代の変革とともに、このインストールされたプログラム(与えられた価値基準)が揺らいできています。そして、次にインストールすべきプログラムが議論されています。

 しかし、そこで求められるものは『愛国心』だの『ナショナリズム』など、戦闘モードへアップグレードではありません。

 自分で見て、自分で思考し、自分で判断する能力なのです。


 自分で思考せず、他から与えられたプログラムをインストールするだけでは、いつまでたっても同じことの繰り返しでしょう。

 いつまでたっても自分なんてできやしません。

 誇りや文化などというものは、決して他からインストールされるものではなく、自分自身ができて、初めて後からついてくるものなのです。



 もちろん、『自分を作る』と言うことは衝突を生み出すということでもあります。そう。今までどおり、自分を殺せば衝突は回避できます。けど、それこそが国際化を妨げる最大の要因です。

 様々な接触、衝突を経て価値基準が変わっていく、これが国際化というものでしょう。

*  *  *  *  *  *  *


 みんな同じ。みんな良い奴。

 今はできなくてもいつかは分かり合える。心は一つ。

 馬鹿なこと言うんじゃない!!違うから面白いんだ!!


 『友人をつくる、人を愛するってことは、新しい価値観との出会いだ!』なんて言葉があります。『時には傷つけ合い、時には喜び合い、そうやって友情や愛情が育まれていく…。』

 …って、言ってる癖に、なぜ外国人とはできないの?

 それこそ差別と偏見でしょう。




本田美奈子3

ブログネタ
外国人入試 に参加中!
 韓国のアイドルグループに『SES』というのがあります(今も健在?)。3人のグループなのですが、その中心にユージンちゃんという可愛い女の子がいます。本当にかわいらしい女の子です。確か高麗大学に特別選抜入試で入ったとかで、当時、広末涼子の韓国版などと言われ、韓国では結構批判されたようです。けど、可愛い女の子でした。

 仕事柄、韓国事情も徹底的に勉強していますので、当然のこととしてその手の情報を知っていました。そして、機会あるごとに、SESを探していました。本当にかわいらしい少女でした。

 ところが、一気に熱が冷めてしまう出来事がありました。

 私が見つけた頃の『SES』のユージンちゃんは、日本で言ういわゆる『清純派』のアイドルでした。清潔で純情なイメージの『少女』でした。それが、何かの歌のプロモーションビデオで露出度の高い衣装を着て、男を挑発するような振り付けとしぐさで歌っていました。

 それを見た瞬間、清楚で純情なイメージなど吹き飛んでしまい、吐き気さえ覚えました。別に韓国人の女の子だから吐き気を催したのではありません。



 私が十代だった頃、日本に同じような清純派アイドルがいました。

 本田美奈子…。

 昨日、訃報を知って、びっくりしました。

 実は彼女も、売り出し当初は『清純派』でした。スクール水着姿に水泳帽。セーラー服やブレザーをビシッと着て、純な微笑をたたえていました。今で言う『ロリ系』ってやつでしょうか。当時はまだ少なかったコンビニの、雑誌コーナーに並ぶアイドル系雑誌の表紙を飾っていました。

 しかし、『大人になった』という理由からでしょうが、そのうち、『清純派』が露出度の高い『淫乱魔女』的な女性へと変貌していきました。当然、気持ち悪くなってしまいました。私の反応と同じかどうかはわかりませんが、その後、思い切り売れなくなっていき、すっかり忘れてしまいました。



 そんな話を韓国人にしました。

 日本では美人よりも可愛い系の女の子がウケる、ってのは彼らも知っているようです。けど、その『可愛い』女の子、清潔で純なイメージで売り出した女の子が、突然、セクシー、男挑発路線に走ると売れなくなる、このことは理解できないようでした。(…あ、そうでない韓国人がいるのも知っていますよ。また、今では少しずつ変化してるってことも知ってます。けど、ここではあくまでもその時の話をしていますし、一般論(多数派)の話をしています。狂った日本人のように、ごく稀な例を出して偏見をあおるつもりはありません。)

 プロモーションのやり方にもよるのでしょう。けど、この路線変更は危険だと思います。そう。ちょうど『ゆうこリン』で売り出し中のロリ系アイドル、小倉優子が、突然、インリン・オブ・ジョイトイのようになったら?…やはり、日本の男(ファン)どもは、引いてしまうでしょう。まぁ、最初は興味半分、意表をつくということで話題にはなるでしょうが…。


 世界にはさまざまな価値観があって、ところ変われば品変わるとはよく言ったものです。男性の女性へ抱く『想い』というのも国によって様々です。

 そこで、SESのユージンちゃんの話をしました。

 「最初、清潔感あふれる清純派だった時は、めっちゃファンになったけど、その後、すぐにファンじゃなくなった。あのまま『清純派』で行ったら、日本の男にも大うけしただろう。」

 こんなことを言うと、

 「そんなことはありません。日本人が韓国人を馬鹿にし、差別しているから、韓国のアイドルは日本で売り出せないのです。」

 という返事…。

 あきれてものが言えませんでした。

 もちろん、程度の差はあるでしょうが、この手の意識を彼らは深く持っています。これを感じ取れない鈍い人間には理解できず、私の言うことも『偏見』としかうつらないのでしょうが、その手の輩は相手にしていません。

 実際、エンターテイメント的なビジネスの日韓摩擦のニュースやら本やらを読めば必ず書いてありますが、これが彼らとの摩擦の1つです。



 愛国心だの民族意識だのを持ってしまうと、自分たちの国が一番だと思い込んでしまいます。そして、自分たちの価値が相手に受け入れられないと知ると、発狂してしまいます。まして、韓国人なんて過去の歴史的わだかまりを持っているから尚更でしょう。


 日本のよさは、愛国心なんぞ持たずに柔軟に対応でき、自分たちの非をそのまま受け入れるところだと思います。

 海外で何かビジネスをやろうとしたら、まず、その国のことを謙虚に研究し、その国で受け入れられるようなビジネスをします。そして、大うけされます。別に韓国のコンビにで売っているキムチはほとんどが日本製だ、なんて実例だけではありません。

 もちろんそうでない例もあって、傲慢な日本人も大勢います。しかし、それらを提示し、自虐的な日本人がやたらとわめき散らしますが、ただの偏見です。そいつらに謙虚さがないだけです。もしそのキチガイの言うとおりなら、これだけ日本企業が世界に広がったりはしないでしょう。金の亡者だのと言う前に、日本人の謙虚さは評価するべきでしょう。

 傲慢な思い込みでその国の市場へ介入しようとしても無理でしょう。ゆがんだ愛国心や民族意識を持って国際社会へ挑むなど、無謀極まりないです。



 人種的に『韓国人だからウケない』ってのは間違いです。なら、韓国人自身に問題があるんだ、と、まずその可能性も模索するのが当然でしょう。志望理由書や小論文の添削の際、そこらへんを指導すると「右翼の先生」なんぞと呼ばれます。

 まぁ、知ったこっちゃないですが。




氷が溶けると水になる。5

ブログネタ
外国人入試 に参加中!
 まず、日本の大学をなめないでください。

 私の本体ページの『大学ランク』にない大学を受けるなら別ですが、志望理由書というのは非常に重要な書類です。


 外国人に受験指導をする際、日本人に指導するのとまったく同じく『個性を出せ』と言います。ところが、『日本の若者は個性がない』という割には彼らに個性などありません。

 こんなこと言うと意外と思われるかもしれませんし、日本語狂師なら即、否定するでしょう。しかし、こと漢字圏、アジア系の学生はなかなか個性が出せずにいます。あまりにも個性だ何だと言うもんですから、しまいには『差別だ!』などという始末です。

 そこで、小論文指導の際、よく引き合いに出される例を出して説明します。

 『氷が溶けると何になる?』

 という質問です。

 これまた例外なく『水になる。』と答えてきます。

 けど、考えを広げて見るとほかの正解だってあるだろう。と指導します。

 そう。

 『氷が溶けると春になる。』

 なんて答えでもいいのです。

 そんな話をしてやります。そして、まじめに『水になる。』と答える学生と『春になる。』と答える学生、どちらを合格にしたい?と聞くと、これまた例外なく『春』の学生だと答えます。


 『賢者の贈り物』というお話は世界的に知られているようです。

 クリスマスの日、恋人同士がお互いのプレゼントを買うために、父の形見の時計を売ったお金で彼女のために櫛を買い、自慢のブロンドを売ったお金で彼氏のために時計の鎖を買い…。このお話の締めくくりでは、『現代の人々が聞いたら“愚か者”と感じるかもしれません。けど、本当に賢い人は誰でしょうか。 』みたいなことが書いてあります。

 氷と答える人と春と答える人、どちらが賢いか、答えは明らかでしょう。

 あらかじめ用意された答えに答える訓練を『教育』と称して育ってきた人間が個性を出すなんて難しい話なのです。そこらへんは日本の若者と同じですが、情報が氾濫し、自由すぎる日本の若者のほうが、彼らに比較すれば、はるかに個性的です。自分を殺しておりこうさんを演じることに慣れてしまった若者は、何を語るのも消極的で『笑われるかもしれない』と、心を閉ざしているだけです。否定する人間はそれを知らないのです。


 学校代表の韓国人が、入学式でスピーチを行いました。

 非常に美しい発音でスピーチしました。

 しかし、中身が非常にくだらない、おりこうさんの内容。『皆さん苦労を乗り越えてがんばりましょう。』の類でした。

 確かに、韓国人が美しい日本語でスピーチをした、その行為は賞賛に値します。すばらしい努力と才能です。しかし、違うでしょ。美しい英語の発音で『地球は青いです。』とスピーチして、どこの馬鹿が喜びますか?言葉を学ぶことだけが目的ならいいかもしれません。しかし、大学進学を考える外国人は、それではいけないはずです。日本語は単なるコミュニケーションの手段に過ぎないのです。

 私の学生だったのですが、スピーチを聞いていてかわいそうになってしまいました。そして、そのすぐあとに、彼女の所属するクラスで今の話をしました。

 彼らも馬鹿ではありません。

 なるほど、と理解し、さまざまな答えを考え始めました。

 中には、母国で離婚して、子供をおいて日本へ来た韓国女性もいて、彼女の作文では『アイスコーヒーの氷が溶けてしまうと、味が薄れてしまいます。味が薄くなったアイスコーヒーは嫌いです。けど、時には薄い味のアイスコーヒーも飲まなければならないときがあるのです。』みたいな内容を書いてきました。業界の人ならご存知だと思いますが、結構、こういう学生もいます。その後、飲みにつれてってやりましたが…。

 
 個性って誰にでもあって、現在の日本では、それを出した人間が評価される時代なのです。外国人が日本へ留学したというその行為だけですでに第一歩を示し、それが最大の個性なのに、それを出さずくだらない志望理由書を書くなんて、いったい日本へ何しに来たの?







東洋的教育(?)5

ブログネタ
外国人入試 に参加中!
 日本人向けブログと平行して。

 日本で散々いわれていることですが、学校での教育、いわゆる『お勉強』というのは、結局のところ受身の行為に過ぎません。そこでは、自分で考える『思考』の過程が無視されています。与えられた問題を教えられたとおりに解く能力は、受身以外の何物でもありません。敷かれたレールの上をただ進むだけなのです。

 そして、何と、これは俗に言う漢字圏(韓国・中国等)の学生も同様です。

 彼らは非常に自己主張が強く、それを勘違いし、彼らを誤解してしまいますが、突き詰めていくと、日本の若者と変わりません。我が強いのはただのわがままだったり、また、彼らは政治、歴史に関して意見しますが、それもすべて受身で受動した知識を発狂しながら主張しているだけです。自分の頭で思考しようとしません。…あ、もちろん思考する人間もいますよ。けど、それは日本人も同じです。

 時々、偏見もちの日本語教師が日本の若者と比較して彼らを賛美しますが、その日本語教師に聞いてみるといいでしょう。『あなたは何人の“日本の若者”を知っているのか』と。おそらく知ってて2、3人というところでしょう。一方だけを見て、自分の思い込みと偏見で彼らを賛美しているのです。


 …はい。はっきり申し上げます。


 日本の若者と本質はまったく変わりません。

             (※今は非漢字圏は対象としていません。)


 日本と同じ『受身の教育』、つまり、『業を授けてくれる教育』を受けて育ってきた若者たちです。

 師を敬う東洋的教育(?)の子供たちです。

 …そう。

 これまた日本人同様、そんな教育しか受けてこなかった学生に、ある日突然、『自分で考えろ』と言っても無理でしょう。自分で考えて志望理由を書け、といってもかけません。書いても、お決まりのパターンであったり、非常に偏ったものにしかなりません。その偏りは、受身で授かった知識に他ならないのです。


 さて、では、彼らに個性はあるのでしょうか?

 よく韓国人や中国人が日本の若者を否定的に『個性がない』と評価しますが、とんでもない話です。彼らこそ個性がありません。付き合ってみればわかります。…あ、すみません。付き合ってみても『馬鹿』には理解できませんので、そういう方はあきらめてください。

 戻ります。

 個性がない彼ら。自分では個性があると思い込んでいますが、その志望理由たるや、日本人よりひどいです。

 もちろん日本語の問題ではありません。

 自分で思考せずに書くのが問題なのです。

 これまた日本語教師が授業でデタラメを教えてくれたのですが、『国際分業』という言葉があります。韓国の女の子が書いた志望理由ですが、日本の携帯電話について述べ、この『国際分業』の話をし、韓国の技術不足、韓国が非常に遅れていることを反省している文章でした。

 『日韓双方で友情を育み、日本の先端技術を学びつつ国際分業で…。』

 馬っ鹿じゃねぇ!!!!!!!!!!!

 いつの話してんだよ!!!

 20年前の志望理由なら良いかもね。

 携帯電話の分野では、国際分業を口にする以前に、もはや韓国と競争を始めています。いや、携帯電話だけではありません。液晶テレビ等の電化製品をはじめ医薬品の分野でさえ、韓国の方が強い分野があります。

 『国際分業』で助けてもらう?

 それどころか、とっくに韓国は『国際競争』できる力を持っているのです。もっているにもかかわらず、そこに日本との差が存在するのです。国民性やら習慣やらの違い、それを研究したほうが遥かに有意義な留学生活が送れるというものです。

 結局、ろくに新聞も読まないような無知な日本語狂師が教えたデタラメを、ろくに自分の頭で考えず、文章にしただけだったのです。

 このような頭でいくら志望理由に書いたところで何にもなりません。



 では、彼らに個性はないのでしょうか?

 彼らと日本の若者との最大の違いは?

 …そう。彼らは外国人なのです。それ自体が個性なのです。彼らは『日本に来た』という時点で、大いなる一歩を踏み出しているのです。異国の地で、その個性が光を放っているのです。

 それなのに、何と惨めな志望理由しか書けないのでしょう。



 …あ、もうひとつ日本の若者と違うところがありました。

 日本人の受験生は素直に何でも従います。しかし、外国人受験生は『疑うこと』が前提になっているようで、まず最初にとりあえず否定するか反論してきます。すぐには信用しません。

 その結果、私は、大喧嘩をしながら『思考』することを強要しています。





 ※くどいようですが、定員割れを起こすような低偏差値大学では、思考を経た志望理由書など必要ありません。ここで述べているのはあくまでも倍率の存在する中堅以上の大学の話です。






パトリシア

曹操

記事検索
コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: